連続模様を作る前に知っておきたいエッシャーについて

エッシャーのような連続模様やだまし絵を描いてみたいと思ったことは誰しも一度はあるのではないだろうか。

エッシャーの世界に地球上の物理の法則はあてはまらない。
重力によって上から下に流れる水は下から上に流れ、川を泳いでいた魚が空を飛ぶ鳥に変身する。
ルネサンス期に現実の視覚世界を基に発明された透視図では再現されえない迷宮世界。
世界中の数学者が親近感を持ち自身の著書の表紙にエッシャーのアートを好んで使う。
この摩訶不思議なアートを数学的な見識を持たない人間に再現は可能なのだろうか。

結論から言うと可能だ。
数学は芸術表現のために利用されただけで、理論ではなく感性と絵画的な実践によって証明されてきた芸術作品だと仮定する。

それではここでエッシャーの思考と作品についておおまかに紐解いていこう。

エッシャーの数学の見識の乏しさを証明するエピソード

エッシャーは学生時代は意外なことに数学の点数が悪かった。
二度も落第を繰り返しながら最も優れていたのは美術であった。
建築の道に進んで欲しいという父の期待のもと1919年にハーレムの建築装飾美術学校/オランダのデルフト工科大学に入学したが、グラフィック担当のド・メスキータ先生に装飾の才能を認められ木版画に習熟していった。
エッシャーは美的な感性の優れた少年だったことが伺える。
ちなみに卒業の際の校長のコメントは以下のようなものだった。
「あまりに几帳面で文学的、哲学的で、若者にしては自由奔放な感情が乏しく、芸術家としての素質に欠けている。」
確かにエッシャーの作品にこういう印象はある。

それはさておきエッシャーの才能を育て、建築ではなく装飾の道へと誘いその後も恩師として彼を支えたド・メスキータ氏の彗眼なくしてこんにちのエッシャーの作品は存在しない。

エッシャーの作品のテーマ

二元性
エッシャーは黒と白の対比に深い興味を寄せていた。偏愛と称しても良いほどだ。
これについてエッシャーはこう述べている。
善は悪が無くては存在しません。従がって、神という観念を受け入れるのなら同様に悪魔の存在も仮定しなけれななりません。これが釣り合いというもので、この二元性が私の人生です。ところが、人々はそんなことはあるはずがないというので、私には間も無くついていけなくなってしまいます。でも、実際はごく単純なことなんです。つまり白と黒や昼と夜といった対比で版画家はこの対比の上に生きているのです。

このエッシャーのコミュ障感に筆者は親近感が沸いて止まらないが、キャッチーに表現すると「芸術は破壊だ!」とかいった芸術家の声明文だろう。基本的に無害なものだが、仮に当時に遡ってTwitterがあったとするとこんな共感のしようのないツイートをしようものなら世界中から炎上必至で素朴なエッシャーの精神は崩壊していただろう。
しかし校長も認めたエッシャーの哲学的で文学的な素質がよく出ている。

ちなみに一般的に言うと二元性は昼と夜とか陰と陽みたいな相反するものが相互に作用しあってこの世界の秩序が保たれているとかなんかそういう意味だ。
これを理解しておくとだまし絵を描きやすいので一応頭に入れておこう。

エッシャーの人となり

趣味
月を眺め神秘性を感じ取ったり海のきらめきや小鳥のさえずり、飛行する角度や植物の成長といった自然を観察しその法則を探すことが好きな素朴な人だった。
華やかな社交界や舞台といった世界には興味を示さなかった。

金銭感覚
無名時代は父など周囲の支援があり、成功してからは資産をもち生涯経済的に困ることは無かったが、成功してからも質素な生活を続け収入のかなりの部分を貧しい人へ分け与えた。

成功してから事業拡大をして莫大な富を得るチャンスが巡ってきたときにはお金はあくまで紙幣であって創作活動より重点を置くべきでないとして創作活動に打ち込んだ。

恩師
エッシャーは義理堅い人間でド・メスキータ先生へ生涯感謝の手紙や意を忘れなかった。

エッシャーの構造の種類

大きく分けて3つに分類される。

空間的構造
入り込む/どちらが現実かわからなくなる/空間


抽象的に表現したようなものだ。

絵の世界には入りこんでどっちが現実かわらなくなるあれだ。
空間と平面との違いは迷路かどうか、入り込むかどうかでいいだろう。

平面的構造
無限/平面/変身
空と水1

平面的なもの。魚のシルエットが鳥に変身し最終的に建造物になるメタモルフォーゼだ。

空間と平面
迷路/平面と空間の迷路/不可能な図形

水が下から上にいったり迷路みたいな世界だ。

芸術的なアプローチでアートは作られる

彼は学生時代は数学の成績が悪く、恩師に装飾の才能を認められ木版画に熱中した。
テーマである二元性は神と悪魔といった哲学性がこめられている。
彼は数学的な見識には乏しく芸術的な人間であったことを数多くのエピソードが物語っている。

画家として成功した彼に、親近感を持って訪れた世界中の数学者たちは彼と話して失望しがっかりして帰ってしまったそうだ。
ここからは筆者のかってな想像だが、数学者は
「この幾何学的遠近法の天低と天頂はどのように導き出したのか」「3つの消失点をもつ空間の重力はどうなっているのか…」といった具合に未知の世界の話しを聞き出したかったはずだ。
しかし彼らの期待とは裏腹に実際のエッシャーは若い頃からアカデミックな鍛錬を積み地道な観察のもとに古典遠近法を逸脱せずに発展させたり様々なシステムを開発した絵描きであり、豊かな感受性の芸術家だった。作画方法や使ったシステム、絵の着想ならまだしも数学的なことはでこの両者の間に何らかのシンパシーが通じあう事はなかなか難しかっただろう。

以上のことからエッシャーは直感的な感性で芸術的なアプローチで作品を作っていた。
これはエッシャー自身の『私は数学の見識には乏しいがなぜかすべてを理解しているような気さえする』
という言葉通り無意識の領域では数学を操っていたとも位置づけられる。

まとめ

エッシャーが感覚的な作家であることが物語るとおりだまし絵は感覚的に作られるものだ。

と、ここまで言い切ってしまってもエッシャーは天才だ。
直感的に曲線式遠近法が発展した電線効果から着想を得、円筒を斜めに切って全画面を円筒型に投影させた遠近法の研究など正気のなせる業ではない。
直感的に描いた線が数学的に極めて正確でもあった。
しかし、それらを踏まえてもエッシャーは絵描きであり版画家である。

いわゆる数学的な錯視の作品とちがって
エッシャーのようなアーティストの作ったようなアートは数式ではないので
あまり数学的な
予測や演算に囚われることなく感性を大切に制作しましょう

以上の仮説からシステムの紹介およびチュートリアルを展開するのでよろしくお願いします。